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映画が好きと堂々とは言えない程度

【ネタバレ】アイスランド・フランス・ウクライナ合作映画「たちあがる女」の感想。予想外の骨太さ、ほぼランボー

たちあがる女 ハットラ

先日「たちあがる女」をみてきました。
予告編を見る限りシュールっぽい雰囲気は伝わってきていましたが、みてみるとかなり裏切られました。いい意味で。

早速どんな映画なのかご紹介させていただきます!

 

 あらすじ - たちあがる女

合唱団の指揮者として働くハットラには、ある秘密があった。彼女は国の続ける環境破壊に立ち向かうべく、単独で環境活動家として活動していたのだった。計画を遂行すべく行動し続けていたある日、何年も前に申請した養子受け入れが実現することになる。母親になることを決意したハットラは計画を終わらせるべく準備に取り掛かる。

 

 登場人物 - たちあがる女

ハットラ/アウサ - ハルドラ・ゲイルハルズデッティル

ズヴェインビヨルン - ヨハン・シグルズアルソン

バルドヴィン - ヨルンドゥル・ラグナルソン

ニーカ - マルガリータヒルスカ

 

以降詳しめに内容に触れてます!ネタバレダメな方お気をつけください。

 

最強のおばちゃん- たちあがる女

わかんないんですけど多分ランボー的なやつなんです。ランボーといえば目を焼かれるというエピソードしか知らないのですが、見ている間に多分これそういうやつだ…と確信しました。
オーガニック系の独り身女性ががんばる的な話を想像していた私ですが、ん?ちょっとがんばりすぎじゃね…?と思っていたら後半になるにつれて修羅の如く任務を遂行していくのでちょっともう何を見ているのかわからなくなりましたが最高でした。
監視から逃れるために泥水の中に潜り、体温をレーダーで悟られても大丈夫なように羊の死骸をかぶる。黙々と淡々と、己のすべきことをこなしていく孤独な修羅。こんなに最強のおばちゃんってかつていたでしょうか。もう後半はセリフなんかほぼないです。静かに怒れるおばちゃん、めっちゃりりしい。

ハットラの心理状態としての楽団- たちあがる女

ちょっと演劇っぽさのようなものも感じます。それが冒頭からハットラに付いてくる楽器隊と歌唱団なのです。多分ハットラの心理状況に合わせてBGMを演奏しているのですが、家の中のせっまい場所でも窮屈そうにしながらも演奏しているコミカルな存在です。ハットラがアイコンタクトをする場面もあり、演出と映画の中の現実の間を行っているような新しい位置付けが面白いなと思いました。

 

おばちゃんの双子 - たちあがる女

そんな感じで主人公のハットラがかなり骨太でツワモノなのですが、このハットラの双子の姉・アウサもだいぶやばいキャラクターです。
ヨガの先生として働く彼女はちょっとスピリチュアル入ってます。そして、ハットラと全く同じ役者さんが演じております。なんかパラレルワールド感。
あんまり映画の中で子供以外の双子って出てこないような気がして、グレムリン2の科学者を思い出しました。

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双子という設定がストーリーに生かされるのかなどうなのかなと気になっていましたが、後半であっさり回収されるのでその辺りもチェックしてみてください。

いい人しか出てきません- たちあがる女

政府側の人とかはともかく、ハットラの周りの人たちは全員ハットラを助けてくれます。
他意のない善意で溢れています。いいですね、ほのぼのします。



おおらか、人間味、ステレオタイプな女性像の破壊 - たちあがる女
あんまりおばちゃんおばちゃん言ってると怒られてしまいそうですが、よくあるフェミ風映画じゃないんですよ。真の意味でのフェミというか。
はっきり言って「強い女性」とか「女は強し」「母は強し」みたいな映画大っ嫌いなんですよ。強いんじゃなくてあんたがたが押し付けたぶん我慢してるんだよ。
その辺りは藤子・F・不二雄先生の「コロリころげた木の根っ子」を読んでください。
そういう意味ではハットラめっちゃいいんです。
プールの更衣室での着替えもいい意味でなんの色気もなくてたくましくて、合唱団で指揮をしているシーンですらちょっと狂気じみて見えてきます。顔の抑揚がすごい。
でも別に女性であることに否定的なわけではなくて特に性別にとらわれず自然体に生きてる感じなんです。今まで独身だったことにも、特に映画内では触れることはありません。そしてそれを悲観しているわけでもありません。
そして自然と女性であることを生かして、監視の目をすり抜けたりするところもなんとも愛らしいです。もちろん色仕掛けじゃありませんよ。
そんな感じの愛すべきおばさん、みていてとても楽しかったです。

よければまだ上映中ですのでぜひ。